鬼畜殺人犯とは無関係の人々にまでなぜか猛省を促す野田聖子議員

これは日本中を震撼させた奈良小1女児殺害事件(2004年)について語った野田聖子議員のコラムです。「表現の自由を盾にして、表現することの責任を全く考えない人々が世にばらまいてきた害悪について、今こそ猛省する時期ではないでしょうか」と一席ぶっていますが、同事件と弾丸理論をこじつけた暴論以外の何物でもない思います。

野田聖子メールマガジン:キャサリン通信
(2005年1月15日)
http://web.archive.org/web/20050424112430/http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200501160040000000127727000

今月の前半、連日、報道が取り上げた事件に「スマトラ島沖大地震」と「奈良県女児誘拐殺人事件」があります。
 
社会の不安を象徴するこの二つの事件は、とりわけ、子どもの身をどうやって守るのかという重い課題をつきつけます。今、大地震・大津波被災地では子どもの人身売買を阻止する動きが大きくなっています。両親を奪われた子どもたちを「お父さんやお母さんは街にいるかもしれないから、連れて行ってあげよう」と言葉巧みに誘い出し売り飛ばす人間が暗躍しているからです。幼い子どもの不幸につけこむ、理解しがたい非人間的悪行であり、国際社会挙げてこの非道な行為を断じて許さないとの声が高まっています。わが国では先の会期中にようやく、国会議員の間でも人身売買法の議論が始まりました。
 
これまで私たち日本人は、子どもや女性を対象とした性的あるいは商業的搾取が日本を最終市場として展開されているという国際的非難に対しあまりに鈍感すぎました。貧しさゆえに身を売る人間がいるから仕方ない、という説得力のない自己弁護に逃げこみ、世界から日本に対する尊敬や信頼が失われていることを直視せずにいたのです。今般の大災害で傷ついたアジアの子どもたちが二重、三重の人権侵害の矢面に立たされている今、アジアのリーダー国として日本が何をすべきか、国民全体で考え行動すべき時だと思います。
 
また、奈良での事件は亡くなった女の子を、そしてご遺族のお気持ちを思うと怒りを抑えることができませんが、性にルーズな風俗環境を許してきた日本の大人の責任が厳しく問われていると思います。容疑者の性的病癖を悪化させたものとして、ちまたにおびただしく存在する劣悪な性関連商品が指摘されています。表現の自由を盾にして、表現することの責任を全く考えない人々が世にばらまいてきた害悪について、今こそ猛省する時期ではないでしょうか。
 
私は先の会期中『児童買春・児童ポルノ禁止法』改正に取り組み、改正法が成立しましたが、民主党の反対にあって書き込めなかった1条があります。それは、「児童ポルノの単純所持を禁止する」という内容です。児童ポルノの被写体とされた子どもに対する権利侵害の重大性を考えるならば、不特定多数に頒布されずとも、児童ポルノを個人が単純所持することから禁じ、子どもたちの尊厳を徹底して守るべきだと主張しました。しかし民主党の強い抵抗にあい、改正法成立のために心ならずも妥協せざるを得なかったことを改めて遺憾に思い、この条項案の再検討を考えるつもりです。
 
子どもの体と心、尊厳を守ることにもっと心を砕きたい−どの国よりも先に少子社会の厳しさ、問題点に直面している私たちだからこそ、この点をしっかり踏まえ、具体的な対応・施策を用意しなければならないと思います。

 
小林薫死刑囚は精神鑑定の結果、反社会性人格障害と診断されました。要するに快楽殺人犯だったという事です。メディアの影響云々というレベルの問題ではありません。
 

弁護士は(小林薫死刑囚が)アダルトアニメを高校生のときに見たことが性格を歪ませた原因だと逮捕直後に語ったが、強制わいせつを初めてしたのは14歳のときであり、時期的に合わない。また、一部でフィギュアおたくではないかとデマが流れたが、彼はフィギュアを全く保有していない。アダルト系同人誌も保有していなかった。
http://bit.ly/1hThOKG