青少年健全育成基本法案を担当している馳浩氏(自民党、元プロレスラー)「保護の程度が劣る表現は法規制すべき」

衆議院:青少年問題に関する特別委員会
(第150回国会、2000年11月09日)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/007315020001109002.htm

馳浩
「さて、問題は、この(有害情報に触れるほど非行に走るという)因果関係を証明するまでには相当な時間が必要なことであります。先ごろVチップを導入したアメリカにおきましては、この導入までに四十年余りも調査をしております。では、きっちりとした調査結果が出るまでは国は何らの規制もしてはいけないのか。つまり、疑わしきは罰せず的な考え方を支持するかであります。
 
私は、それでは遅過ぎると考えます。現在の有害情報のはんらんは限界を優に超えており、これ以上の野放しはできません。このような状況において、諸外国の信頼できる調査や社会通念としての常識を頼りに規制は肯定できると考えます。
 
しかしながら、こう言うと、憲法に保障された表現の自由を十分理解していないと常に反論されますが、そうではないと思います。すなわち、ここで言う人権の制約は、通常の場合と異なる点に着目すべきであります。
 
具体的には、第一に、青少年の健全育成というパターナリズム、すなわち国親的思想を根拠に規制しているということ。関連して、最高裁平成元年九月十九日判決においても、補足意見ながら、ここで問題となる因果関係については、科学的な証明は不要であり、相当な蓋然性があれば足りると述べておりますし、肝心の判決理由も、この因果関係については、社会共通の認識と判示しております。
 
第二に、情報の提供は、現代社会ではマスメディアが独占しており、そのマスメディアは一私人とは言えない事実上の第四の権力者であること。
 
第三に、ここで言う有害情報は、本来最も保護すべき政治的意見等と異なる情報であり、したがって、その両者の区別は困難ではありますが、その保護の程度は劣る表現活動でありますし、保護の程度を区別しなければ、肝心の本来保護すべき情報まで一蓮託生的に制約されてしまう危険があること。
 
以上三点から、青少年有害情報の公的規制は、規制の範囲を明確化すれば十分憲法上許される規制であり、一般の表現の自由の制限と同質的にとらえるべきでないと考えます。